インターネット募金


カウンター


カレンダー

04 | 2012/05 | 06
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

カテゴリ


goo辞書


メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:


月別アーカイブ


死語ステッカー

死語ブログパーツ

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
日記
4555位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
未設定
--位
アクセスランキングを見る>>

検索フォーム


検索フォーム


FC2ブログ

どうしようもない女

この主人公の言動がイタいのは確かです。
ですがタカビーとか自己中とは少し違う気がします。

アル中です。
抜毛症です。
パーティで告白した秘密をずっと胸に抱えてきた人です。
病院一歩手前です。
彼女は追い込まれています。


「ヤング≒アダルト」
341318view004.jpg

【監督&製作】
ジェイソン・ライトマン
【脚本】
ディアブロ・コディ
【出演】
シャーリーズ・セロン
パットン・オズワルド
パトリック・ウィルソン


「JUNO/ジュノ」のジェイソン・ライトマン監督&ディアブロ・コディ脚本コンビが、シャーリーズ・セロンを主演に迎え、いつまでも大人になれない身勝手なヒロインを描くコメディ・ドラマ。
高校時代の栄光を引きずる自称作家の30代後半バツイチ女性が、久々に戻った故郷で容赦のない現実を突きつけられる様を、ユーモラスかつ辛辣に綴る。

とにかくシャーリーズ・セロンが素晴らしいです。
「サイテー」ですが「サイコー」であり、生き方は不細工ですがどこか可愛い。
身も心も成長出来ていない大人として、自信家でワガママで女王様のような女。
しかし彼女に抱く印象は、鼻持ちならない嫌悪感より滑稽さの方だ強い。
「これしかない!」というキャスティングですね。

ダルダルのキティちゃんTシャツを着て、都会で自堕落な生活を送る37歳のその女は、ヤングアダルト小説のゴーストライター、メイビス(シャーリーズ・セロン)。
ハイスクール時代はプロムの花形で、田舎町の有名人だった彼女は、相手より常に上に立っていないと気が済まない人間。
上から相手を見下ろすことで、常に自分が主導権を握る余裕を持っていたい。
あるいは、憧れの存在として羨望の眼差しで相手から見上げられたい。
だからこそ、別に彼女は元カレの「リア充」ぶりに嫉妬し、かき乱そうとしているワケではありません。
なぜなら妬みや僻みといった感情は、相手を下から見上げることで生じるものだから。
逆に彼女は上から目線で、不幸な彼を救ってあげたいと本気で思っている…
その一本気な部分が爽快でもあり「イタイ」んです。

田舎に戻ればあの頃の自分が取り戻せる、あるいはあの神通力が今もまだ通じる…

やがて帰郷したメイビスは、周囲の空気も読まずに元カレ・バディ(パトリック・ウィルソン)を誘惑するのですが、高校時代の同級生マット(パットン・オズワルド)がそれをたしなめます。

マットは高校時代、学校で幅をきかす不良達に暴行を受け、下半身に障害を背負ってしまう。
高校時代の華やかな自分を引きずるメイビスと、高校時代の暗闇から未だ抜け出せないマット…
周囲がひたすら平和そうに、けれどとても退屈に、ありふれた大人として平穏な日々を生きる中、その「当たり前」から取り残された2人が片田舎の片隅で己の虚しさを吐露していく…

そんな彼女は、田舎者である故郷の人々に逆に同情されていることを知る。
それは、常に相手を見下していた者として、最大の屈辱である。
プライドを傷つけられ、天狗っ鼻をへし折られた彼女は、唯一彼女に憧れを抱き続けてくれる「オタク」で「身体障害者」で「独身」であるマットの元へ逃げ込むのです。


341318view003.jpg

一貫して、どうしようもない人生の傍観者ではなく、どうしようもない人生の「どうしようもなさ」に遭遇してしまった当事者を描いてきた監督ジェイソン・ライトマン。
今回は今までよりさらにどうしようもなさに磨きがかかっていて、ただ痛々しい過去を背負った痛々しい人間が痛々しく暴走する…

ただそれだけのお話で、そこに救いはないし、そこから何か成長するワケでもありません。

ただこの映画を見て誰もが思う

「こんな人おるおる!(もしくは、私はコレである)」

おそらく、ずっと心の中で脅迫され続けてきたんだと思います。
「キレイで、特別な仕事をして、素敵な夫と可愛い子供たちに囲まれてなきゃ、そしていつも輝いてなきゃダメ!」
雑誌やTVから、友人から、世の中の目から、そういった価値観を押し付けられ続けて生きてきた。
「誰よりも幸せじゃなきゃダメ!」
自分の価値観を養いそびれ、迷路にはまり込む…
彼女は美人でそれなりに賢かったゆえ、そのプレッシャーも大変だったんじゃないかと…

そこから抜け出すことはなかなか難しい。
「幸せを見つけることが出来ない」なんて言ってましたが、借りものの価値観で生きていても、幸せを感じることなど出来ないでしょう。
でも、マスコミが垂れ流す価値観の中で溺れかけている人間が急に自分の価値観を見つけるというのも至難の業。
映画のラストでも彼女は迷路の出口を見つけられないまま…

まったく脇目も振らず、シンプルでバカで虚しい方向にしか彼女は進めない。
このカメラと物語の「視野の狭さ」の徹底に、メイビスの焦燥から離れまいとする彼女への共感が滲んでいて、実はけっこう優しい作品なんじゃないかとも思った。


【今日の誕生日】
ジョージ・ルーカス (1944年)
ロバート・ゼメキス (1952年)
ケイト・ブランシェット (1969年)

本日誕生日の方、おめでとうございます☆

それでは今日も素敵な映画と一杯を…

行って帰ってくる物語

全米では「タンタンの冒険」と同日公開されたという本作。
自身の映画2本を同時に公開するなんて普通はしませんが、それをやっちゃうのがこのオッサンのスゴいところ。
「タンタン〜」はパフォーマンス・キャプチャーと3D上映というエンタテインメント感タップリの作品でしたが、こちらはドッシリと腰を据えてズシンと心に響く重厚な映画に仕上がっています。
言わば対極に位置してるような映画を同時に撮っちゃうのがスピルバーグなんですね。

「戦火の馬」
340426view001.jpg

【監督&製作】
スティーヴン・スピルバーグ
【脚本】
リー・ホール
リチャード・カーティス
【出演】
ジェレミー・アーヴァイン
エミリー・ワトソン
デヴィッド・シューリス

巨匠スティーヴン・スピルバーグ監督が第一次大戦を舞台に、軍に徴用され最前線に送られた一頭の馬とその飼い主の青年との友情と奇跡の物語を美しい映像とともに描いた感動ドラマ。

ボクは競馬が好きです。
もう10年以上前、とある大きなレースで、レースの最中に馬が骨折してしまい競走を中止したことがあります。
圧倒的な一番人気だったその馬の競走中止は、10万人以上が詰め掛けた競馬場に地鳴りのような悲鳴を轟かせたのを今でも覚えています。

その時です。
折れた右前肢を庇うように3本足で立ち、自身の痛みより、跨がってる騎手を振り落とすまいと必死で踏ん張ってるその馬がいました。
少なくともボクにはそう見えました。

野生ではない彼らは、人間の意思で父と母が決められ、生まれた後は鍛えられ、優劣をつけられ、寿命さえ決定付けられます。
長い歳月をかけガラスのような繊細な四肢に変えられてきた彼らは、ひと度重度の骨折に逢えば一本の注射器によって永遠の眠りにつかなければなりません。
そんな宿命を呪うでもなく、人に甘え、従い、過激なレースを走る…
「競馬が嫌い」だという人の何割かはいつも、そのあたりに言い及びます。

サラブレッドは切ないほどに賢く従順だと思う。
より速く走るために、そして何よりも人間のために人為的に作られた生き物だから。
残酷で不幸な宿命を生まれながらにして背負っていると言えます。
ですが逆説的に言えば、だからこそ人間よりも優秀で高貴な生き物だとも言えます。
それがこの作品から伝わってきます。

馬は人よりも美しい。

犬映画が軒を連ねる昨今の映画界ですが、個人的にスクリーンに最も映える動物は「馬」だと思います。
風になびくたてがみに、荒々しい息遣い、凛とした佇まい。
走る度に蹄からは心地よい音が鳴り響き、黒々とした瞳は強さと弱さが同居しています。
スクリーンの中心に存在するだけで、これほど「画」になる動物はいないと断言出来ます。
それをこの作品の製作陣はよく理解しています。
青空をバックに、雪の舞う中、あるいは夕陽の光を浴びて映されるクローズアップ。 その姿のなんと美しく、逞しく、そして神々しいことか…

馬を見つめる誰もが温かな眼差しを向けているのも心地良いですね。
馬を見つめる視線、馬を想う気持ちは敵味方関係なく、共に同じなのでしょう。
そこに説得力を持たせるだけの堂々とした風格があります。

物語はいたってシンプルです。
シンプル、かつ分かり易くて奥が深い。
エンタテインメント映画のひとつの王道ですね。
スピルバーグが監督する作品はいつだってそう…
シンプル、かつ分かり易くて奥が深くて、面白い。
この作品に限った話ではなく、 最近のスピルバーグ映画に限った話でもありません。
彼の作品は昔からそう。

ただデカいトラクターに追いかけられるだけ…
ただサメに襲われるだけ…
ただドイツ人がユダヤ人を助けるだけ…
ただトム・クルーズが宇宙人から逃げるだけ…

ただ馬が戦争に巻き込まれるだけ…

340426view004.jpg

ジョーイという馬が主人公ではありますが、決して人間達も単なる引き立て役で終わっていません。
すべての登場人物に血が通っていて存在感があって、ジョーイに関わる人間たちのドラマにも感動します。

青年アルバートもきごう…
その両親も…
周りの人たちも…
ジョーイに関わる兵士たちも…
農場の祖父と孫娘も…

勝手に馬を飼いならし
勝手に馬を戦争に巻き込み
勝手に馬を殺し
勝手に馬を助け
勝手に馬が起こした奇跡に希望を見出し
そんな映画を見て勝手に感動する…

まぁ人間って何て勝手な生き物なんでしょう。

作り手が意図して感傷的な見せ方をしているからだろうけど、涙腺を刺激される場面が数多くあります。
「あざとい!」思われ、文句のひとつやふたつ言いたくなるような演出を、超一流のスタッフが堂々とやってのける。
監督スティーヴン・スピルバーグに撮影ヤヌス・カミンスキー、音楽ジョン・ウィリアムズ。
これだけのプロフェッショナルが揃えば、観客は抵抗するまでもなく、ただ涙を流すことしか出来ません。

最新技術を駆使して映画の新たなる可能性を示したかのような「タンタン〜」と比べると、随分と正攻法でオーソドックスな印象を受けます。
スピルバーグ監督が原点回帰を図ったよう風格が漂っています。

何度も繰り返し語られてきたいわゆる「行って帰ってくる物語」であり、「帰るべき場所に各々 が戻っていく物語」です。
激動の時代に翻弄される者たちを、圧倒的なスケール感で描き切る語り口には、男の子が大好きなロマンに溢れています。


【今日の誕生日】
キャサリン・ヘップバーン (1907年)
ソフィア・コッポラ (1971年)

本日誕生日の方、おめでとうございます☆


それでは今日も素敵な映画と一杯を…

いとおしい

2012年早々、とても素晴らしい作品を鑑賞しました
なんとなくなフワ〜ッとした「オサレ映画」なんだと思っていたらトンデモナイ!
ただこの作品に感動できる人はおそらくマイノリティな部類に入る方々では…?と思ってしまう。

「人生はビギナーズ」
340972view007.jpg

【監督&脚本】
マイク・ミルズ
【出演】
ユアン・マクレガー
クリストファー・プラマー
メラニー・ロラン

世界的アーティスト、マイク・ミルズ監督が、自身の父親との関係を基に脚本を書き上げ映画化したハートフル・ヒューマン・ストーリー。
長年連れ添った母の死後、突然ゲイであることをカミングアウトし、新たな人生を謳歌し始めた父の姿に戸惑いを抱きながらも、自分の気持ちに正直に生きることの大切さを学んでいく主人公の葛藤と新たな恋の行方を描く。

他人と繋がることが苦にならない人間がいます。
いつも輪の中にいて、積極的に人に関わり、気にかけ、決して他人を非難しないし、あらゆる人間と共存することが出来る人。

逆に、他人と関わることが上手に出来ない、苦手な人間もいます。

この人付き合いの苦手意識は、年を重ねれば変わるというワケではなく、むしろ年々その意識が強くなっていくような気がします。
価値観が違う人間、モラルの違う人間、趣味嗜好の違う人間をどうやって受け入れればいいのか?
年々謎は深まっていくばかり…

であれば、おとなしく何を言われてもニコニコとしていられればいいのですが、思ったことはそのまま口にしてしまう性格なので、違うと思えばためらいもなく異を唱えてしまう。
年をとってそれなりにはオブラートに包めるようにはなったけれど、その分だけ心の中に鬱屈が溜まり、その煩わしさからますます人付き合いが悪くなるといった悪循環…

当たり前のことですが、誰にとっても自分の人生はすべてがビギナーです。
どう生きるか、どう生きていくのか、誰も経験してはいないのでどうなるの分かりません。
同じような毎日を過ごしていても、昨日よりは一日多く経験している。
進んでいないように見えても、一日多く積み重なっている。

少し前までは、他人と違うことはタブー視されていましたが、あっという間にボーダーラインは消えました。
病名を知らずに亡くなる人よりも、告知されて向き合う方が増えてました。
生き方にしても、外からの重圧に耐える時代から内なる戦いに苦しむ様になってきまし
た。

この物語は、父親の生きた時代と息子が生きる時代をうまくリンクさせて、ソッと背中を押してくれるような気がします…

340972view002.jpg

マイク・ミルズ作品の主人公は、どこか内省的で陰気臭い印象があります。
ただし作品全体に暗い雰囲気は感じられません。
その最大の要因は、今まで自らの殻に閉じこもっていた主人公が、ありのままで飾らない自分を受け入れ、前を向いて人生を生きようとする過程を描いているからだと思います。

ナイーブで繊細な心に傷がついた状態で、その傷をさらに広げることを恐れている自閉的な主人公。
だからこそ、人と深く関わることも、自分を正直にさらけ出すことも億劫になってしまう。
そんな彼の傍を片時も離れず優しく見守り続ける犬の視線。
このままでは彼のためにならないと思いつつも、どこか彼を突き放せない温かさ。
それこそが監督の主人公に対する眼差しなのだと思います。

彼もこのままではいけないことは自覚していて、自己嫌悪や自己批判さえ入り混じったモヤモヤした内心を、絵を描くことで発散しようとしても、周囲は理解してくれません。
あるいは、せっかく目の前に自分を愛してくれる女性が出現しているのに、愛し愛されることすら恐れてしまう。
そんな後ろめたい主人公は、まさに「陰」の存在。

一方、彼と対を成す「陽」の存在が、ゲイをカミングアウトした主人公の父親。
ことあるごとに、余生を正直に謳歌した父親の生き生きとした姿が、断片的に挟み込まれます。
時代のアイコンやイメージと共に浮かび上がるその記憶は、主人公の背中を何度も押してくれます。
アブノーマルな自分を受け入れて生きる人間の、なんと輝かしいことか。
その「陰」と「陽」のバランスが絶妙なコントラストになっています。

人付き合いが苦手な人間は、きっと共感できる点が多いのでは…?
逆に、人と繋がりが苦にならない人には、主人公の戸惑いや気後れ、人と触れ合うことへの躊躇が実感しにくいのではないかなぁ…と。

40歳を目前にして、やっと他人と触れ合うことに一歩踏み出す勇気を持てた主人公。
その心の揺れが手に取るように伝わってくる臨場感溢れる演出に「監督自身を投影したのかな?」と思いながら観ていましたが、そもそもそういうお話しだったとは…
観賞後パンフレットを見て知るという迂闊ぶり。

だとすると、あの父親の描き方から、監督の父親に対する深い愛情と尊敬と憧れの気持ちが、本当に強く伝わってきました。

理解できなかった苦しい時を越えて、真に強い繋がりを築くことが出来たんでしょう。

本当に体中にじわ〜っと染み渡る素敵な作品でした。
改めて、大切な人と生きていきたいなって思います。

ってことは昨日より成長したということかな?



【今日の誕生日】
マーガレット・ラザフォード (1892年)

本日誕生日の方、おめでとうございます☆

それでは今日も素敵な映画と一杯を…

悪党は必ず破滅する

タランティーノ監督が2010年のベスト映画で第3位に選んだ作品です。
日本では考えられない強盗などの犯罪を稼業とする家族のお話…

「アニマル・キングダム」
338974view001.jpg

【監督&脚本】
デヴィッド・ミショッド
【出演】
ジェームズ・フレッシュヴィル
ベン・メンデルソーン
ジョエル・エドガートン

80年代のオーストラリアを舞台に、母の急死で疎遠だった祖母に引き取られ、犯罪一家との生活を余儀なくされた真面目な青年が辿る運命を鮮烈に描き出す犯罪ドラマ。

実話に基づいた犯罪ドラマらしいです…
確かにこういう家族も存在するでしょう。
日本以上に格差が大きく、麻薬などの犯罪が身近な存在となっている欧米社会なら、犯罪を「ファミリー・ビジネス」とする一家があっても驚くほどのことではありません。
主人公ジョシュア(ジェームズ・フレッシュヴィル)の祖母(ジャッキー・ウィーヴァー)と叔父たちはそんな犯罪者一家です。

いかにもアメリカっぽい話ですが、本作はオーストラリアのある一家の物語。
ジョシュアは母親とともに彼らから離れて暮らしていましたが、その母親が亡くなってしまいます。
死因は麻薬の過剰摂取で、救急隊員が到着した時、彼は取り乱す様子もうろたえる様子もなく、うつろな表情でテレビを見ています。
まるで回収を頼んでおいた粗大ゴミのように、無造作に動かなくなった母親を指差す。
思えばこの冒頭シーンがこの作品の異常さを物語っている上に、この作品の「全て」ではなかったでしょうか。

ですがこういう人物像に、観ている者を惹きつける魅力はまったくなく、常に無表情で、ファミリーの中にいても、恋人と一緒にいても、警察に保護されたとしても、ポーカーフェイスを崩しません。
その上あまりにも愚かで、交際し始めた恋人をこの「ケダモノたちの王国」に招き、思わぬ悲劇、いや案の定悲劇が起こる…
この出来事がラストの彼の行動の動機になるのですが、こんな家に恋人を近づける神経がどうにも理解出来ません。

自分の置かれた状況から逃れることも、変えることも出来ず、意図せずに加害者になったという意味で、彼もまた被害者ではあります。

「血」というしがらみは、同時に自らを守ってくれます…
だからこそ、外の世界に救いを求めようとしても、結局「ファミリー」へと戻ってしまう…
自分の居場所はどこにあるのだろうか?
自分がこの世に存在する意義は何なのだろうか?

ずっとクライマックスが続いていくような作品ではなく、むしろ全くの逆で、映画としてのクラ イマックスが全く描かれていません。
しかし物語自体には、確かにクライマックスが存在している...
不思議ですが、クライマックス部分は意図的に編集でバッサリと切られているという感じで、その代わりに全編を通して描かれるのは、クライマックス前の何かが起こりそうな「予感」と「不安」、「緊張」なのです。
映画としての結末はもちろん用意されてはいますが、この結末すらも「これから何かが起こるであろう」という「予感」と「不安」、「緊張」となります。
ゆえに映画が終わっても物語は終わらず、更には現在に地続きになっているようなリアルな感情のまま、映画館を後にすることになります。

338974view004.jpg

そんな異常な世界の中であっても祖母だけは動じません。
崩れかけのファミリーの中心で、彼女だけは不動の存在であるからこそ、かろうじてファミ リーの体裁だけは保たれています。
彼女は孤独を恐れています。
子供たちと一緒にいるだけで幸せ、だからこそ家族が一緒にいるという光景を必死に守り続けます。
そして、彼らが自分へ愛情を注いでいるかを確認するために、わざわざ唇にキスをさせる。
そんな狂気的な彼女の執念は、滑稽かつ不気味でもあります。
ですが、自らも愛情を注いできた子供が子供を殺すというラストで、彼女は打ちのめされることになります。

冒頭のナレーションから、ジョシュアが自分のホームである犯罪一家から距離をおいていることが示され「悪党は必ず破滅する」という言葉が、その後の結末と彼の選択を予感させます。
しかし、この一度しか使われないモノローグがミスリードを誘う仕掛けとなっています。
というか、その言葉があくまで「予感」のまま映画が閉じられ、強烈な余韻を残しています。

「悪党は必ず破滅する」という言葉を軸に祖母と刑事がスーパーの中でやりあうシークエンスに象徴されるように、ジョシュアが「家」と「警察」、どちらの居場所を選ぶかという二者択一迫られるという話を中心に進んでいくように見えますが、それは単純にどちら側につくのかと主人公を子どもとみなして大人たちが脅しているに過ぎません。

また、ラストはこうも解釈できるかもしれません。
自分の大事な人を二度も失わせた、麻薬に代表される「クソッたれな世界」…
大人たちが都合良く押し付けてきた環境への一撃だったと。

忘れてしまいたい現実…
だけど確実に脳に刻みつけ記憶しておかなければならない現実…
底なしの恐ろしさがこの世には存在し、そこで生き抜いていくためには忘れてはならない現実…

そういう現実が描かれていると思います。


【今日の誕生日】
フレッド・アステア (1899年)

本日誕生日の方、おめでとうございます☆


それでは今日も素敵な映画と一杯を…

甘美な終末

昨年の震災後、ボクも「これ」を想像してしまったから、今の日本においてこういった作品を鑑賞するのが辛い時があったりします。

「メランコリア」
340955_01_04_02.jpg

【監督&脚本】
ラース・フォン・トリアー
【出演】
キルスティン・ダンスト
シャルロット・ゲンズブール
アレクサンダー・スカルスガルド

鬼才ラース・フォン・トリアー監督が、一組の姉妹とその家族を通して世界の終わりを描く衝撃のドラマ。
巨大惑星(メランコリア)の異常接近によって終末を迎えようとしていた地球を舞台に、世界の終わりに立ち会うことになってしまった人々の姿を圧倒的な映像美とともに荘厳な筆致で描き出す。

キルスティン・ダンスト
決して美人女優というワケではありませんが、なかなか雰囲気のある女優さんです。
本作では鬱病患者という繊細かつ重々しい心理状態を体当たり演技で表現していて、M・Jからの脱却に成功しましたね。
カンヌでの女優賞受賞も頷けます。

そもそもラース・フォン・ トリアー監督は、リハーサルをせずに役者さんの即興演技で撮影するというスタンスらしいですが、役者さんの隠れた才能を引き出すのが巧い人です。
美しい音楽や絵画のメタモルフォーゼとしての表現など、彼は知識人としても一流と言ってもいいかもしれませんね。

パンフレットで「鬱を患う人は、人生には悪いことが起こるという事実を既に受け入れているから、ストレスの強い状態になった時、むしろ落ち着いて対応することが出来るんだ」と自身のセラピストから学んだんだそうです。

人は必ず死にます。
それは、逃れられない運命です。
しかし人間は「いつ」「どこで」「どのように」死ぬのかは分かりません。
ですが本作では、それがすべて明確になっています。
オープニングで惑星「メランコリア」が地球に衝突する瞬間、人間はすべて死滅するのだ。
だからこそ、本作はすべてが無意味な世界、すなわち何をやっても劇中の人物に迫りくる死からは、逃れることが出来ないということです。

もしも明日、地球が滅亡すると知ったら今まで感じていたある種の『絶望や不安』がちっぽけに思えて、それどころではなくなってしまうということです。
大きな絶望は小さな絶望を凌駕するのかもしれません。

物語は2人の姉妹を軸にした二部構成となっています。

第一章「ジャスティン(妹)」
開始早々、何度切り返してもカーブを曲がれない、大き過ぎるリムジンが映し出されます。
そこから、観客をイライラ&モヤモヤさせる場面が続いていきます。
その原因は「鬱病」を患ってしまっているジャスティンの存在。
幸せの絶頂であるハズの披露宴の席でも、彼女はどこか浮かない表情をしています。
憂鬱さを抱え込んだ態度が、周囲の人々にも蔓延していく様。
それに耐え切れず、人々はどんどん屋敷から去っていきます…

第二章「クレア(姉)」
美しくも恐ろしい「メランコリア」が迫ってきます。
空を見上げて星を観察するという行為は、本来はロマンチックなもの。
ところが、そんなロマンチックなものに人間が滅ぼされてしまうとはなんて皮肉なことでしょう。
シチュエーション的には『アルマゲドン』のようにも描くことが出来ます。
ですがラース・フォン・トリアーは世界の危機を最小単位で見せます。
屋敷、斜面、そして広大な海…
まさに絵画的な美しさを感じるロケーション。
その地が世界とは隔絶した場所に見えるからこそ、説得力を持たせることに成功しています。

340955_01_01_02.jpg

「メランコリア」はどんどん大きくなってくる…
それは死が迫っているということを意味しています。
ですが「メランコリア」は恐ろしいほどに美しい。
ワーグナーの甘美なメロディーと、徐々に大きくなっていく轟音が交錯する中「視覚化された死」が迫ってくる。
たまらなく恐ろしいのに、たまらなく美しい…

ジャスティンは自分をコントロール出来ないだけで、自分にとって「本当の幸せとは何か?」を直感で分かっています。
だからクレアの夫(キーファー・サザーランド)がお金をつぎ込んだ取り引きとして 「結婚して幸せになるコト」や新郎が贈った果樹園の写真にもとんと無関心。
優しい夫や物質的なものでは自分が幸せになれないと知っていたんですね。
「その瞬間」も諦念や恍惚の表情さえ浮かべながら冷静に迎えます。
まるで「私を憂鬱にする人間たち、そしてこの世界なんてなくなってしまえばいい」と「メランコリア」を自らが引き寄せているようにも見えます。
もはや失うものがなくなったジャスティンは一番強い人間でした。

これに対して「絶対に衝突しない!」と思っていたクレアの夫は、想定外の事が起きたら、恐れのあまり妻子を置いて、あんなことをしてしまう最も弱い人間でした。

クレアは思いやりがあって妹の面倒を見るごく普通の人間です。
でも「時々あなたが憎くてたまらなくなる」と言います。
多少人と違っていても、苦しみながらも自分らしくあることを選択し、周りを振り回しても、自分に正直な生き方をする妹に対する『嫉妬』からくる言葉だとも解釈出来ます。
そして、いよいよという時は子供の未来を心配するあまり、恐怖を感じて激しく動揺してしまいます。
完全に「恐れ」に支配されてしまい、魔法のシェルターの中にいても、最後には子供の手を放してしまいます。

ですが恐れのないジャスティンは手を放しません。
子供は魔法のシェルターが守ってくれると純粋に信じてるのでクレアのような恐れを感じたりはしていません。

過去の作品においても、人間の不器用さや傲慢さ、未熟さなどの人間の弱い部分をこれでもかと見せつけ、かつなかなか体感出来ない精神世界を美しい映像と音楽を一体化させ、魅せてくれます。

「この世は地獄で、あの世は天国」という言葉の『死は試練からの解放』という観点から考え、「死=絶望ではない」と結ぶ。
だから監督はこの結末をハッピーエンドだと解説します。

人間は無になることによってはじめて宇宙と(神)と一体化出来るのでしょうか?
この監督は無神論者であるように見えて、実は誰よりも神を求めているような気がしてならないボクなのでした。


【今日の誕生日】
ロベルト・ロッセリーニ (1906年)
ナンシー梅木 (1929年)

本日誕生日の方、おめでとうございます☆

それでは今日も素敵な映画と一杯を…


 | ホーム |  次のページ»»